引っ越してから一ヶ月。
オーダーしたけどまだ届いていない家具やら、これから欲しいものやらあるのだけど、ようやくある程度気持ちよく生活できる空間と、その中での暮らしリズムが整ってきた。
しかし内見せずに(住居人がいたため)借りてしまったので、予想以上の部屋の狭さにはあれっ?って思ったけど。。。
ベランダからは葛西臨海公園の「ダイヤと花の大観覧車」が見えるのだけど、その手前に高層マンションを建設中で、近いうちに見えなくなりそうで残念。

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だって社会の中にある『普通』を避けたいならば、その『普通』に目を配っていなければならない。
小沢健二
ひふみよより
これはファッションについて言及した一説なんだけど、小沢健二は良くも悪くも秀才なのだなーと思ったところです。
同様に坂本龍一もまた、音楽について「既存の作曲理論を理解した上でそれを破壊する」(大意)ということに触れていて、やはり秀才、つまり努力の人であることをうかがわせています。
何を言いたいかって言うと、それは、世の中には天才や鬼才という人たちは確かにいて、秀才は(わりと容易に)一般大衆に受け入れられるものだけれど、前者はそうではなく、生きている間は全く評価されず、相手にもされなかったりする。
・・・評価?それすら、俗世間の産物なわけで、天才や鬼才には意味がないものか。
いや、そのようなこと、気にもしないわけだよな。
概念が無いことすらありえる。
生きていく以上、俗世間との関係はゼロには出来ず、生まれる様々な軋轢の中で、悩みもがき、苦しんで、死ぬようなこともあるか。
いや、それで死ぬくらいなら、吹っ切れ具合が足りなくって、天才の成りかけみたいなものかしら。
うん、ごめん。何を言いたいのか、書くよ。
それは。
もう、天才か鬼才かにしか、興味がないってことだ。
面白くないの。全然。
秀才の言うことは至極もっとも。当たり前すぎる。
秀才以下につき、何をどうしてそうなった(そう言っている)のか、容易に想像できる人間には興味がわかない。
馬鹿はその群における最下層に属する産物であり、関わる気すら起きない。
一般的に病人や廃人といわれている存在の方がよっぽど興味がわく。
犯罪者でもいいよ。
犯罪者を擁護する気持ちは全く無いので誤解がないようにいただきたいが、近頃の犯罪ときたら、レベルが実に低い。
全く以ってつまらない。
先生が生徒に手を出した(性的犯罪)とか、そんなの、全然俗世間の産物で、吹っ切れていれば、先生が生徒と自家製宇宙船を建造。宇宙に旅立とうとするところ、墜落して、鳩山由紀夫の脳内に不時着した、・・・位の犯罪を犯してくれなければ面白くないよね。
PS.ブログの更新が滞っているのも、そんなことが影響しているかもしれない。ね。
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