スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ネットいじめ後自殺 さいたま 中3、遺書に同級生名

yahooニュースの記事から。

こういった記事を読むと、つくづく「もったいない」と思う。

中学生といえば、たかだか保育園や幼稚園、そして小学校といった小さな世界しか経験したことがないわけだ。

そして、そんな世界で出会った相手と、一体いつまで付き合いがあるというのだ。
中学生であれば、卒業し高校に入れば、それっきりの縁じゃないか。

高校に入ったら入ったで、別の人にいじめられるかもしれない?

確かにその可能性はゼロではない。

しかし、高校、大学、そして社会人と年齢を経るにしたがって、深刻ないじめがだんだんと少なくなっていくのは間違いないことである。

何故なら、「いじめを行うような輩」=「人の姿を借りたゴミみたいな存在」が自らの周りの世界に占める「割合」=「密度」が次第に減っていく (正確には拡散していく) からである。

言っている意味がわからないだろうか。

先ほど、「小さな世界」という言葉を使ったが、そこは文字通り小さな世界であるが故に、あらゆるものの密度が高い。

自分の周囲にとんでもない天才や変態、そして「人の姿を借りたゴミみたいな存在」がいる可能性が大人の世界に比べてきわめて高いのだ。

そして大人の世界と決定的に違うのが、その世界を自らが選択できないということである。

嫌が応にもその世界の住人たることを求められ、それにあがらう手段がないのだ。

だからこそ。つくづく「もったいない」と思うのだ。

高校でもいじめられたら、一応は自分に何がしかの非がないかどうか位考えてやっても良いだろう。
その結果自ら変化することが出来るのであればそれもそれでかまわない。

しかし、「人の姿を借りたゴミみたいな存在」のために、自らを責めるのはよしてくれ。
その先には答えなどない。
その先に何か答えを見出そうとしても、「復讐」あるいは「自殺」といった程度の「答えではないが、何かしら終わりに出来る手段」を見出すことくらいしか出来ないだろう。

だからこそ、むしろ逆に彼らを哀れみ、涙するくらいの心意気であっても構わないのだ。
そして、その後数年、あるいは数十年生きていく中で、自らが心地よく生きることが出来る「世界」を求めていけば良い。

求めていけば、必ず向こうから訪れてくる。

<<==このブログの応援に、ポチッと押していってください!
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://atomico.blog72.fc2.com/tb.php/397-c9712edb
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。